十字架の血で罪赦された道

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さて、残念な事ですが、多くの人たちが①だけで止まってしまいます。
自分の罪を見て終わりでは、そこには失望と絶望しかありません。
しかし神様は、わたし達がそこで立ち止まってしまう事を望んではいません。
その先にこそ、十字架の道の真髄があるのです。

わたし達のもっている罪が、愕然とするほどに大きいのは確かな事です。
多くの場合、わたし達はその罪の意識から、良い行いをして罪を償おうとします。
しかし、わたし達が背負っているその罪は、自分で償う事すらできないほど大きいのです。
だから神様は、わたし達が自分の行いによって罪を償うのでなく、神様の側から一方的にその罪を赦して下さいました。
そして、わたし達との関係を修復しようとして下さっているのです。

わたし達が罪を償うことなく、その罪が赦される?
そんな、都合のいい話があるのでしょうか?
あります。
しかし、もちろんそれは無料ではありません。
ただ、それはわたし達に支払えるものではないので、神様が代わりに支払ってくださいました。
そこには、神のひとり子であるイエス・キリストの命が支払われたのです。

聖書にはこの様に書かれています。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ 3:16)

十字架の道とは、わたし達がその罪の赦しを受け取る道です。
神様がその代価を支払ってくださったという事をわたし達が認めなければ、わたし達は罪が赦された事を受け入れないという事になります。
そしてわたし達は、永遠に自分の努力でその罪を償わなければならなくなるのです。

十字架の道とは、罪を赦された者として生きる道です。

十字架の道を歩む生き方は、自分の罪を反省して「自分はダメな人間だ」と嘆いてばかりいるような生き方ではありません。
また、自分の罪に対する、神様からの罰を恐れる生き方ではありません。
罪が赦された喜びに満ちて、希望にあふれた生き方です。
こんな自分を赦し、愛してくれる神様に感謝して生きる生き方です。
わたし達が失望と絶望で終わるのではなく、喜びをもって生きることを、神様は望んでいるのです。

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