古い自分が十字架に架けられた道

罪を赦されたという事は、赦されているんだから何をしても良いという事ではありません。
わたし達は自分の罪を認め、それがイエス・キリストの命を犠牲にして赦されたのだという事を知っているからこそ、これからの人生を改めたいと願うのです。

聖書にはこの様に書かれています。

私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。(ローマ 6:6)

わたし達の人生は、罪の奴隷だった状態から始まっています。
初めは、自分に罪があるという自覚さえない状態で、無意識の内に罪に囚われて、罪に従うままになっていました。
次に罪の意識を持ち始めると、今度は自分で罪を償おうとして、良い行いをする事や、規律・戒律に縛られる人生が始まります。
どちらにしても、そのような行動原理は罪が中心であり、わたし達は罪に縛られています。
その様な状態であり続ける限り、わたし達は罪の奴隷となっているのです。

しかし、“わたしは赦されている”というところから始まる十字架の道は、本当の意味で罪から開放された生き方なのです。
神様の愛、赦された喜びを原動力とする生き方は、わたし達を自由にします。

皆さんも、古い自分として生きる事をやめ、イエス・キリストがわたし達の内に生きる新たらしいいのちを生きたいとは思いませんか?

ひとりでも多くの皆さんが、

  • 自分の罪を認め
  • 十字架による罪の赦しを受け取り
  • 新しいいのちに生きる

そんな人生を歩んで欲しいと、心から願っています。

これを読んでいる皆さんも今、人生の十字路に立っています。
それは、あなたがイエス・キリストと出会い、十字架の道を選ぶかどうかの選択をするための十字路です。
キリスト教は初めてという方も、またすでに洗礼を受けたという方も、どうかこの十字架の道を選んで歩み始めてください。

クロスロード・インターナショナル葛西教会が、そんな皆さんの手助けをする事ができるなら幸いです。

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