211日目 テサロニケ人への手紙第二1~3章、詩篇146篇

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通読211日目、テサロニケ人への手紙第ニ1~3章と詩篇146篇でした。

使徒の働きの記述によると、パウロがテサロニケの町を訪れた時には、あまり長く滞在する事ができず、騒ぎを起こす人がいてパウロたちはそこを去らなければなりませんでした。
しかしそこには、すでにキリストを信じる兄弟たちがいて、彼らを霊的にサポートする必要があったのです。

そこでテモテをテサロニケに送り、テサロニケの教会の様子を見に行かせる事になりました。
その報告の結果が予想以上によく、彼らはしっかりと信仰を持って歩んでいる事が分かり、感謝をしているのがこのテサロニケ人への手紙の特徴だと言えます。

しかし、十分な教育をする事ができなかったテサロニケの教会には、信仰的な混乱が起こっていました。
パウロは第一の手紙でも十分な知識を伝えようとしましたが、それをさらに補足しようとしたのがこの第二テサロニケへの手紙です。

第一の手紙を出した後に、さらいn起こってしまっていた混乱は、イエス様がすでに再臨していて裁きの時が始まっているという噂でした。

しかし主の日がある前に、反キリストが現われ、地上を支配する事が聖書の中で預言されている事でした。

反キリストはサタンの力によって、全力で福音が広がる事を阻止しようとしてきます。
多くの人たちがサタンの側につく事になってしまいますが、信仰と希望をもってとどまり続ける必要があるのです。

最後に、終末が始まっている、あるいは近づいているという話を聞いたことによって、働くのを辞めた人たちもいる話を聞いた事です。

どうせイエス様が来るのだからと、生産的な事をしないでいるのは正しい事ではありません。
神様に仕え、働きをするというのはどういう事なのか、少し考えさせられる言葉ではないでしょうか。

また、天の御国では働かないと思っている人たちも多いのではないかと思います。
“礼拝”というものが、教会で賛美して祈る事だと思っている人たちはそう考えるのかもしれません。
それも礼拝のひとつの形である事は否定しませんが、天国でみんながそれだけをしていると思ったらびっくりする事なるんじゃないでしょうか。

エデンの園で、アダムとエバの仕事は歌って祈ることではありませんでした。
僕たちがあるべき姿に還るのが天の御国なら、僕たちはもっといろんな仕事を天国でするはずです。
教会の事ばかりにかまけて、生産的な事をしないでいると、天国に行ってから恥をかくのではないかと思ったりもします。

明日はコリント人への手紙第一1~5章です。

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