234日目 ヨハネの手紙第二、ヨハネの手紙第三、ユダの手紙

image02

通読234日目、ヨハネの手紙第ニ、ヨハネの手紙第三と、ユダの手紙でした。

一つ一つ見て行きましょう。

まずはヨハネの手紙第二。

「私はあなた方を本当に愛しています。」という言葉で、心が温かくなりました。

これは、「私はあなたを、真実の愛で愛します。」とも訳す事ができる言葉です。

教理や教義ではなく、神様の真理の中にあるから現れてくる結果でもあります。

ヨハネは本当に愛の子と呼ばれるにふさわしい人でしたが、それがイエス様の弟子のしるしでもありますよね。

『もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」(ヨハネ13:35)』とイエス様が言っていた通りです。

神様の戒め、それはいつでも(旧約の時代から変わらず)、神を愛し、僕たちが互いに愛合う事です。

その事を改めて教会の人々に送ったのが、いつでもヨハネの手紙のテーマなのです。

その意味では、ヨハネの手紙第三もテーマは同じです。

こっちの手紙は、ヨハネがガイオという個人んい送った手紙ですね。

でも、言いたい事は同じ。

「愛」がテーマです。

ガイオは、旅をしていた使徒たちやメッセンジャーたちを迎え入れ、もてなす事だったようです。

ヨハネはその事を喜び、またガイオを励ますためにこの手紙を書いたのです。

しかし、教会にはデオテレペスという、教会で権力を握って支配をしたがる人がいました。

そういうタイプの人たちはどこにでもいますね。

そういう人を役員にしてしまうと、教会は大変な状態になってしまいます。

人々を教会に向かい入れ、ひとりでも多くの人たちが主にある家族となっていく事が素晴らしいのに、こういう人たちが新しい人たちや自分の気に入らない人たちを追い出してしまう事もあります。

特にこのデオテレペスは、ヨハネたち使徒をも教会から追い出そうとしていましたから大変ですね。

一方で、クリスチャンとしての良い模範として取り上げられているのがデメテリオという人です。

彼が実際にどういう人だったのかはわかりませんが、自分の思いや、自分の目標、自分の力のためではなく、神様を第一とする事が、いつでも一番良い手段なのだろうなぁと思うのです。

最後に、ユダの手紙です。

このユダは、もちろんイスカリオテのユダではありませんね(笑)。

最初の挨拶の言葉を見ると、イエス様の兄弟だったヤコブの兄弟と書かれています。

つまり、このユダも、イエス様の弟だった事が分かります。

ヤコブもそうでしたが、自分を「あのイエスの弟」と特別扱いを求めるのではなく、「あなたたちと同じイエスのしもべ」と言っているところに、ユダヤ人らしからぬ謙遜(笑)が見えて、好感が持てます。

さて、ユダがこの手紙を書かなければならなくなったのは、偽った教えが教会に広がっていた事が理由だと書かれています。

他の使徒たちの手紙にもありましたが、異端問題はこの時代からかなり深刻な問題だったようです。

その頃異端とされていた教えが近代になって発見され、「キリスト教はそういう意見を排斥して、自分たちに都合のよい教理を作ってきた。」と言われたり、「この教えにイエスの真理が隠されている」という取り上げられ方をするのは、本当にうんざりさせられます。

そういう人たちは、異端信仰やカルト信仰を復活させ、教会を混乱させようとしているのです。

さて、このユダの手紙は、実を言うと結構問題の種となりかねない手紙だったりします。

それは、この手紙の中に引用されている言葉が、プロテスタントの教会では偽典や外典と呼ばれている本の中から来ている部分があるからです。

ひとつは9節の、「ミカエルがモーセの体について悪魔と言い争った」という話。

もうひとつは、14節のエノクによる預言の言葉。

これらは、聖霊の霊感を受けたものではないとして偽典・外典と呼ばれてきましたが、ユダは普通に引用してしまっているのです。

でも聖書には、ハムラビ法典から来ているとも考えられる「目には目を、歯には歯を」という言葉があったり、新約聖書の中にも哲学者の言葉が引用されていたりもします。

その引用は、その言葉が真理だから引用されたのではなく、当時の読者が良く知っていたその言葉を通して、神様の真理を伝える事が目的でした。

この部分に関しても、ユダヤ人たちの間では広く読まれていた、伝承からの引用によって、人々に真理を伝えようとしていたのだろうと思います。

ユダの手紙の重要なポイントは、「神様から離れた教えによって滅ぼされる者になるのではなく、神様の真理に繋がりつづけなさい」という事です。

最後は、美しい祝祷の言葉で閉じられています。

『あなたがたを、つまづかせないように守る事ができ、傷のない者として、大きな喜びを持って栄光の実前に立たせる事の出来る方に、

すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。』(24~25)

明日は最後の書、ヨハネの黙示録1~5章です。

Share on LinkedIn
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です