239日目、最終回! ヨハネの福音書20~22章

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とうとう・・・

とうとう、やってきました!

今日が最終回です!!!

通読239日目、ヨハネの黙示録20~22章でした。

さて、前回までのところで悪魔との決着がついて、悪の全てが滅ぼされたように見えました。

でも、まだ全てが終わったわけではなかったんです。

サタンと多くの悪霊、悪魔たちは地の底に縛られ、1000年の間閉じ込められることになったのです。

ここから、千年王国という期間が始まります。

千年王国は、天国と言えない事はないですが、まだ神様が新しく創った新天新地ではなく、今僕たちが生きているこの世界のようです。

ただ、悪魔も悪霊も捕えられた状態なので、いつでも神様を感じ、変な誘惑をされる事もない、過ごしやすい状態だと思います。

これまで死んだクリスチャンたちは全てこの時に蘇り、この人々は千年間ここで暮らします。

これが、第一の復活と呼ばれるものです。

第一の復活に預かった者は、この後もずっと神様とともに永遠の時を過ごし、裁きを恐れる必要はありません。

さて、この千年王国の存在がとてもおもしろいところだと思います。

どうしてすのまま新天新地に行かないのでしょうか?

どうして千年もの間を、今のこの世界でまた過ごさなければならないのでしょう?

確実な事や詳しい事はわかりませんが、新天新地で永遠の時を生きるための準備を、ここでする事になるのだと思います。

僕たちはアダムやエバたちのように長生きである事と、罪の縛り、悪魔の誘惑から解放されることをの属と、恐らくは今とあまり変わらない生活をするのではないでしょうか。

その中で僕たちは、神様を愛する事と、互いに愛し合う事、様々な働きを経験する事になるのです。

しかし千年経ったとき、閉じ込められていた悪魔が、もう一度解放される時が来ます。

彼らは周りの諸国とゴグ、マゴグを惑わすために出て行くと書かれています。

彼らにはまだまだ、人を惑わす余地があるのです。

ここには、海の砂のように膨大な数の悪魔悪霊たちが出てきて、神の国を包囲しますが、天から火が降り注いであっという間に焼き尽くしてしまいます。

時々、「神様は悪魔を赦されないのでしょうか?」という質問を受けることがあります。

もしも悪魔が悔い改めることがあるのなら、きっと神様を彼らを赦されるでしょう。

しかし、どれだけチャンスが与えられていても、悪魔は決して悔い改めず、神様に反逆をし続けるのです。

ある意味では、この時に解放されることが、彼らの最後のチャンスなのです。

その後、クリスチャンにはならなかった人々が蘇ります。

これが、第二の復活ですね。

そして僕たちはみんな、自分が生前してきた事に応じて裁きを受ける事になります。

でも、イエス様の救いを受け入れていた僕たちクリスチャンは、裁きを恐れる必要がありません。

イエス様がすでに、その裁きを受けて下さったからです。

そうではない人たちは、その罪に従って裁きを受け、死とハデス(冥界)ごと火の池に投げ込まれることになります。

これが、第二の死ですね。

そこからやっと、神様が新しく創造された、新天新地が登場します。

これこそが、本当の意味での天国ですね。

神様が僕たちの涙をぬぐい取り、そこには死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。

「悲しみや苦しみがなかったら楽しみも半減なんじゃないか?」なんて、ナンセンスな事は言わないでくださいね。

そこには笑いあふれ、喜びに満ち、幸せでいっぱいなのです。

皆さんは天国とはどのような所だと想像しているでしょうか?

多くの人たちは、そこでは永遠に休み、おいしいものを食べ、安らぎの中にあるのだと想像しているかもしれません。

あるいは、永遠に賛美を歌っているという話も時々耳にしますね。

でも、僕は天国がそういうものだとは思っていません。

なぜなら、神様がもともと創った世界の最高のかたちは、エデンの園にあるからです。

エデンの園で、人々は休んでいたのではありません。

彼らには、神を愛し、互いに愛し合い、世界を管理するという仕事がありました。

そして賛美、礼拝とは、歌ったり教会で経験するような物だけではなく、神様に仕える事の中にその本質があるからです。

新天新地にはもう、神殿がありません。

神様はいつでも共にいて下さるからです。

夜がなく、太陽も星もありません。

そこは、いつでも神様の栄光で輝いているからです。

もう呪いも、汚れも、罪もない。

もしそこがつまらないと感じるなら、救われない方がいいでしょう。

僕は、そういう人たちにたくさん出会ってきました。

僕は誰かを無理やり救おうとは思いません。

そんなこと、どうせ無理だし・・・。

僕は冷たい人間なので、神様なんていらない、天国なんてつまらないと思う人に福音を押し付けるつもりは全くありません。

僕にできる事は、知っている事をただ伝える事。

そして、そんなあなたのためにも祈りたいと思います。

「結局みんな天国に行けるんじゃないか」と、都合の良い解釈をしたい方もいるでしょう。

そういう方に言いたいのは、あなたがどう思おうと勝手だけれど、真理は一つしかないという事です。

そして、少なくとも、聖書にはそう書いていないという事。

それを信じないで、後から神様のせいにはしないで欲しいです。

神様の側からは、十分以上に働きかけをしました。

僕たち人間が神様に背き、神様の愛を踏みにじった。

そんな僕たちを、神様はそれでも愛し、僕たちのために命を投げ出してくれた。

救いの道を選ぶ選択権を、僕たちに与えて下さった。

後は、それに僕たちが答えるかどうかです。

救いの道は、誰に対しても開かれている。

そしてそのための条件は、救いを受け取るかどうかだけです。

でも、その道を選ぶ人は少ない。

滅びに至る門は広く、救いの道は狭くて、みんなは通りたがらないのです。

求めるなら、与えられます。

求めないなら、与えられないのです。

どうか、求めて下さい。

それが、神様の願いです。

通読に伴う解説は、ここでおしまいです。

基本的には自己満足でやってきましたが、これが誰かにとって、何かの参考になるなら嬉しいです。

でも、あくまで参考であって、僕の解釈が絶対に正しいというわけではありません。

間違えている部分もたくさんあるでしょう。

でも、大筋の流れとしては間違えていないと思います。

どうか、自分で聖書を読んで、それを確かめて頂きたいと思います。

そして、ここまで共に通読をして下さったみなさま、本当にお疲れ様でした。

長い旅でしたが、始める前と何かが変わったでしょうか?

気づいていないかもしれませんが、きっとより成熟した皆さんになった事と思います。

しかしこの旅がここで終わるのではなく、ますます祈り、御言葉に触れ、神様の声に耳をすませて、今度はそれに従って歩みだす行動の一歩を進んでいただきたいと思います。

準備は整いました。

皆さんが、神様に創られたままの自分として歩みだす事ができますように。

そのために必要なのは、皆さんが神様に信頼して従う信仰だけです。

聖書通読はこれで終わりとなりますが、またお会いする事もあるでしょう。

それでは、皆さんの上に祝福が豊かにありますように・・・。

けんたろ牧師

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